ベネチアのおみやげ おすすめは?
ベネチアの代表的なお土産といえばベネチアングラス(別名 ムラーノグラス)やベネチアンレース、仮面、マーブル紙などの伝統工芸が昔から盛んだったため、現在も素晴らしい逸品が多く揃っている町です。
これはベネチアが町ではなく一つの国だった時代、国家の有力産業として育成・保護をしたきたガラスの技法、漁師の妻が網の補修技術を応用して編み物をしていた当時の技術などが、今に語り継がれているのです。
水の都 ベネチア ベネト州, イタリア世界遺産の絶景写真
ヴェネツィアとその潟 世界文化遺産/1987年登録
ヴェネツィアはイタリア北部、ヴェネト州の州都。118の島が400の橋で結ばれており、その中を160もの運河で張り巡らせた水の都。
4世紀頃にフン族(ゲルマン民族)が北イタリアに進入。破壊と略奪から逃れるためにヴェネトの人々はラグーナと呼ばれる干潟に浮かぶ無人島(現在のトルチェッロ島やブラーノ島)に逃げ込み、塩の生産で生き延びてきた。これが「水の都 ヴェネツィア」の起源となり、421年のこと。
ヴェネツィア共和国はこれまでヴェネツィア商人による東方貿易で財を成してきた国であるが、1204年、第4次十字軍の主導権を得たヴェネツィアは最強の軍事力を手中に収め、ビザンチン帝国の首都であり、難攻不落の都市コンスタンチノープルを陥落させる。 さらに、アドリア海と東地中海の領土を次々と獲得し、東地中海最強の海軍国家として君臨することになる。こうしてヴェネツィアは絶頂期へ突き進んだのである。
1271年にヴェネツィアを出発し、アジアへの旅に出たマルコ・ポーロが、この旅の話しをまとめた書物「当方見聞録」にて、日本を「黄金の国ジパング」として初めて世界に紹介。
ちなみに、多くのガイドブックには「マルコ・ポーロがアジアへの旅に出た」という書き方をしているが、正しくは、少年のマルコ・ポーロが貿易商の父に付き添って行ったというのが真意。その24年後に中国より巨万の富を持ち帰ったことでも知られる。
ヴェネツィアの最盛期は14〜15世紀で、この頃に建てられたリアルト橋を中心とした大運河の両側には華麗な商館が立ち並び、アレキサンドリアから運ばれた聖マルコの遺体を収めるために建てられたサンマルコ大聖堂やヴェネツィアの権力の象徴ともいえるドゥカーレ宮殿など、当時の繁栄がいかに凄いものであったかが見て取れる。また、ローマ教皇の度重なる破門宣言をものともせず、見事な政教分離を実現したことで、独自路線を歩んだことは、ヴェネツィア共和国の特徴である。
しかし、1453年にコンスタンチノープルがオスマン・トルコによって陥落。東方貿易の拠点を失ったことでヴェネツィアの衰退が始まる。 さらに15世紀末、ポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰をまわるインド航路を発見したことにより、ヨーロッパにおける海洋貿易の構図が決定的に変わる。その後、アメリカ大陸が発見されたことも拍車をかけ、ヴェネツィアは海洋国家としての足場を崩されていく。世界は大航海時代の到来である。
その間もオスマン帝国によって、ヴェネツィアの海外領土が少しずつ奪われていき、かつての勢いを取り戻すことはなく、勢力にかげりが見えてくる。
しかし、最終的にはフランスのナポレオンが圧倒的な軍事力でヴェネツィアを包囲し、総督の退位を要求。そして1797年、千年もの間、存続し続けてきたヴェネツィア共和国はついに崩壊。
つまり、日本の江戸時代の終わりまでこの世に存在していた国であり、ヨーロッパの戦国時代とも言えるこの時代、1000年存続を続けた国は他に例がなく、ヨーロッパに与えてきた影響は計り知れない。