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アマルフィ海岸 世界文化遺産 / 1997年登録アマルフィは、地中海に君臨した海洋国家として知られるが、その歴史は古く、起源は古代ローマ時代までさかのぼる。アマルフィが歴史の表舞台に現れてきたのは839年、ナポリ公国から独立を宣言し、アマルフィ共和国となった時のこと。 中世イタリアの4大海洋都市国家(アマルフィ、ピサ、ヴェネツィア、ジェノヴァ)の中でも、アマルフィは早い発展と遂げた。 アマルフィは、イスラム勢力との戦いで徐々に勢力を伸ばし、造船や航海技術が発達。ビザンチン帝国とも同盟関係を持つようになる。同時にイスラム諸国との貿易関係を築くなど、優れた商才も発揮。こうした東方貿易を通じてアラブ諸国から文化的にも多大な影響を受けながら財力を蓄えていく。こうして9世紀のアマルフィ共和国は強力な海軍を持つに至る。 |
一方でイスラム諸国とも貿易を通じて良い関係にあり、アマルフィはイスラムとローマ教会との仲介役として最前線にいた。
こうしてアマルフィは10世紀末に最盛期を迎え、11世紀には現代の国際海事法の原型になったとも言われる最古の海事法典「アマルフィ海法」を世界に公開し、初めて海商法を整備した国となる。また、船上でも正確に動作をする羅針盤を開発するなど、アマルフィが歴史に残した役割は大きい。
しかし、アマルフィはサレルノ公国の脅威にさらされるようになり、1073年からノルマン人の保護や統治を受けるようになると、独立国として厳しい状況に置かれる。 更に、イスラムに寛容であったノルマン政権は、十字軍運動に対して消極的であり、強力な海軍を持ちながらも、アマルフィは第1回十字軍(1096-1099年)に参加しなかったのである。
この十字軍の海上輸送がもたらす利益は莫大であり、十字軍に参加したジェノヴァ、ピサ、ヴェネツィアに対してアマルフィはに完全に遅れを取る結果となる。
1131年にはノルマン人による征服、1135年と1137年にはピサによる攻撃を受け、略奪に見舞われる。こうして急速に衰退していくことになるが、14世紀の2度にわたるペストの大流行、1343年に発生した地震と津波によって都市の大部分が破壊され、土地が海中に沈んでしまう惨事に見舞われた。 こうして二度と歴史の舞台に現れることがなくなったのである。
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