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一方でイスラム諸国とも貿易を通じて良い関係にあり、アマルフィはイスラムとローマ教会との仲介役として最前線にいた。
こうしてアマルフィは10世紀末に最盛期を迎え、11世紀には現代の国際海事法の原型になったとも言われる最古の海事法典「アマルフィ海法」を世界に公開し、初めて海商法を整備した国となる。また、船上でも正確に動作をする羅針盤を開発するなど、アマルフィが歴史に残した役割は大きい。
しかし、アマルフィはサレルノ公国の脅威にさらされるようになり、1073年からノルマン人の保護や統治を受けるようになると、独立国として厳しい状況に置かれる。 更に、イスラムに寛容であったノルマン政権は、十字軍運動に対して消極的であり、強力な海軍を持ちながらも、アマルフィは第1回十字軍(1096-1099年)に参加しなかったのである。
この十字軍の海上輸送がもたらす利益は莫大であり、十字軍に参加したジェノヴァ、ピサ、ヴェネツィアに対してアマルフィはに完全に遅れを取る結果となる。
1131年にはノルマン人による征服、1135年と1137年にはピサによる攻撃を受け、略奪に見舞われる。こうして急速に衰退していくことになるが、14世紀の2度にわたるペストの大流行、1343年に発生した地震と津波によって都市の大部分が破壊され、土地が海中に沈んでしまう惨事に見舞われた。 こうして二度と歴史の舞台に現れることがなくなったのである。
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