パルテノン神殿

パルテノン神殿は、アテネの守護神アテナ女神を祀る神殿として、9年の歳月をかけて紀元前438年に完成。その後も装飾彫刻のため工事は続けられた。 長さ68.7メートル、幅30.6メートル、高さ14メートルの巨大なドーリス式神殿で、古典ギリシア建築の最高傑作とされる。

当時の神殿内には黄金と象牙で出来た女神像が安置され、神殿の破風は、女神アテネの誕生の場面や、ギリシャ神話の神々の戦いの様子を描いた彫刻で飾られていた。

紀元前4世紀に入ると、アテナイ(アテネ)はアレクサンドロ大王のマケドニア王国によるヘレニズム文化の影響下に入る。その後はローマ帝国の支配下となり、どの時代においてもパルテノン神殿は権威の象徴として扱われてきた。

しかし、東ローマ帝国時代 キリスト教によってパルテノン神殿はその機能を大きく変えていくことになる。

6世紀〜7世紀頃に神殿は教会に改修。これによってパルテノン神殿の破壊が進むことになる。 15世紀にはオスマン帝国の占領下に置かれ、パルテノン神殿はモスクに改築。しかし、オスマン帝国は神殿そのものを改築することはせず、ミナレットを増築するなどして直接神殿を傷つけることはなかった。

17世紀、オスマン帝国はアクロポリスを要塞化し、神殿を弾薬の貯蔵庫として利用。さらに、ここに女性や子供を避難させたが、1687年9月26日、ヴェネツィア共和国がアテネを攻撃。 砲撃はパルテノン神殿に命中し、弾薬庫が爆発。神殿の一部が破壊された。
その後、アクロポリスは忘れ去られることになる。

パルテノン神殿の写真